多趣味な僕の、しょうもないことを小出しにしていきます。 なんでもないないことでも、投稿していくので、 興味があれば、質問など投稿してください。 (満足のいくお答えが出来るかは分かりませんが…) 反対にアドバイスなどいただければ幸いです。
2013年12月24日火曜日
2013年12月15日日曜日
イタリアのテノール歌手
2006年に行われたトリノオリンピックの閉会式で、2007年7月にロンドンで行われたダイアナ妃追悼コンサートで歌うなど幅広い活動を行っている。2007年には、パヴァロッティの葬儀でも歌声を披露。2008年第50回グラミー賞でパヴァロッティの追悼曲として自身のヒット曲である「The Prayer」をカバーしたジョシュ・グローバンと共に歌い上げた。2009年UEFAチャンピオンズリーグ決勝の開会セレモニーでは、チャンピオンズリーグアンセムに独自の歌声を乗せ、荘厳な雰囲気を醸し出した。また、2010年4月30日に中国で行われた上海国際博覧会のオープニングセレモニーではオペラ「トゥーランドット」のアリアを披露し、式を盛り上げた。
トスカーナ地方の村、ライヤティコに生まれる。6歳でピアノを始め音楽の道に進むものの、12歳の時にサッカーボールを頭に受け脳内出血を起こしたことで先天性緑内障が悪化して失明する。障害を乗り越えて法学博士号を取得し弁護士として活躍していたが、歌手になる夢は捨てきれずにいた。
その後、世界的なテノール歌手であるルチアーノ・パヴァロッティとイタリアを代表するロック&ポップス歌手のズッケロ(Zucchero)に見出され1994年にデビュー。
1994年のサンレモ音楽祭新人部門で優勝し、イタリアン・ポップス、カンツォーネの曲を収録したアルバムを2枚発表した後、「VIAGGIO ITALIANO」というアリアやナポリターナなどを歌ったアルバムを発売し、ヨーロッパ中で大ヒットとなる。
ボチェッリのために作られた「コン・テ・パルティロ」は、後にタイトルと歌詞の一部を英語に改めて「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」としてサラ・ブライトマンとデュエットしたバージョンが発売され、1500万枚以上のセールスを記録した。
2013年12月9日月曜日
京都嵐山渡月橋へ〜災害復興
あの土砂災害から復興した現地へ!
マスコミの報道でしか知らないが、あの悲惨な状況を、外部からの訪問者である私には確認できない。すごい^_^
しかし、まだ様々なご苦労はあると思います。
頑張ってp(^_^)q
そんな応援の意味も込め訪問させてもらいました!
私には、紅葉といえば京都⁈などという定番が出来ている。何が起因しているのか分からないが…
臨済宗天龍寺派の大本山、天龍寺へ!
足利尊氏が、夢窓疎石の薦めにより、 南朝の後醍醐天皇の菩提を弔うために建立。
建設には多大な費用がかかるため、室町幕府が天竜寺船と呼ばれる貿易船を元に派遣したことは、よく知られています。
足利義満の時代、京都五山の第一位に列せられました。今では世界文化遺産のひとつに指定され、嵐山・嵯峨野巡りの中心地です。
あいにくのお天気でしたが、手入れの行き届いた素敵なお庭です。2013年12月7日土曜日
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